うたちゃん日記

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高速道路と我田引水、政治家と建設省(その4)首都圏道路混雑の理由

【日本の伝統芸・我田引水は繰り返す】高速道路建設早期の政治的混乱と現在に至るインフラストック不足(その4)

首都圏の高速道路、東京都内に入ったら貧弱すぎるのは高速道路初期計画段階で国の関与(直轄国道道路公団)して建設せず、自治体任せ(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)にしてしまったからだと思うので調べてみた。

<日付:2021/8/12>

根本にあるのは、自動車利用の起終点の多くは『東京市街地』になるだろうとの前提で道路網が建設されていった。『通過交通』をやりすごす環状ルートは、後付で計画され、『首都高湾岸線(港湾埋立地)』『首都高中央環状線(東側河川空間)』など、公共用地を起業者間で調整して確保する手法が先行した。

首都圏西側にて環状道路が不足していた時代において、東名~(首都圏北側東側方面)東関道、常磐道東北道、関越道までが、(横浜青葉IC)保土ヶ谷バイパス湾岸線中央環状線、外環道を、通る遠回りルートかつボトルネックになっていた。このような状態が日本の成長期と言われる時代と重なったため、太平洋ベルト地帯に産業が集中していまい(それ以外の地域の高速道路整備が遅れため)、なかなか東北地方への工業立地がすすまない遠因となった。

 

戦前の自動車国道構想における東京首都圏、1943年(昭和18年

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関越方向と東北方向が浦和を意識している点と、東海道方面が都心部でつながっている。(図の表現方法の検証は必要だが)

 

政治主導による『縦貫道』『横断道』計画、1965年(昭和40年)

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中央道が割り込んで来て、いよいよ東京市街地での接続方法を考えなくてはならないことになった。関越道、東北道の入り込みが戦前計画に対して西側になっている。

この4路線は中央道以外は首都圏内完成6車線で計画建設された。中央道が需要が少ないとされ実務的に冷遇されていたことがわかる。

 

都市間高速道路整備構想、1963年(昭和38年)f:id:utachan0831:20210812125932j:plain

1958年(昭和33年)第一次首都圏基本計画

・東京へ人口産業が集中することへの検討が始まった。

・国会(政治)では、むしろ逆の政策のための『縦貫道』『横断道』の検討。

1963年(昭和38年)首都圏基本問題懇談会中間報告

・都心間高速道路から都内に指向して流入する交通を円滑に分散導入せしめる。

・外かく環状線(高速)は多摩川荒川間で流通施設整備に合わせて整備する。

・中間環状線(環状六号線沿い)、内環状線(外濠線)追加の方針。

 

関東地方建設局道路部内部資料、1980年(昭和55年)

 

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1968年(昭和43年)第二次首都圏基本計画

圏央道は、「東京環状道路」として、国道16号の大規模改良

1976年(昭和51年)第三次首都圏基本計画

・「東京環状道路」は「首都圏中央連絡道路(仮称)」で16号外側になる。

 

そもそも東京首都圏はそんなに丸くない

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「放射道路」「環状道路」でまとめようとする考え方は、東京都区部(23区)の範囲までなら収まるが、「外環道」「圏央道」くらいの環状道路は、都市の配列とはもはや無関係になっている。無理に環状接続させるため、必要性の高い区間とそうでない区間が混在してしまった。(全部の圏央道がいらないと言っているのでは無く、そう言う区間は高規格な無料国道や支線的高速道路で良いのでは?)

圏央道の必要性がある区間(筆者走行等での所感)

東名高速~中央道~関越道~東北道~新4号BP(長距離トラックが多い)

圏央道の必要性がない区間(筆者走行等での所感)

・東名以南~釜利谷方面(首都高側の含めると線形が悪く距離時間が長い、スペックの割に利用されないのでは?)

・新4号BP~常磐道~東関道(ほとんど線形が放射道路を短絡する環状線になっておらず、地域開発道路的なルートになっている)

・東金~茂原~木更津(東金~木更津で見ても、ショートカット出来ず、千葉東JCTを通った方が早い。大型車の低速走行に当たると追い越し出来ないため)

計画は一度に出来ても建設は一度に出来ず

1968年時点の高速道路(赤=完成)

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1964年の東京オリンピックに合わせて急ごしらえした首都高都心環状線を目指すという、当時からして無理のある計画だったように見える。

 

1972年時点の高速道路(赤線1969~1972年に完成)

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関越道に組み込まれる区間も完成しているが、いまだ(2021年現在)起点部での改善は進んでいない。

東名~首都高~成田と首都を横断するルートが成立した。

東北道は岩槻までで、北関東から湾岸部までのルートの整備は遅く、これが内陸部の工業地帯形成を遅らせる要因になったと思う。

(建設年代別の説明は次回以降につづく)

 

次の年代を見る前に筆者の妄想図を

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1970年代までに、都心をショートカットする路線を計画していれば、現在の絶望的な首都圏の渋滞は無かったと思われ、具体的に線を引いてみた。

1)東名と東北道をショートカットするルート(世田谷区~川口市

2)中央道から南回りで常磐道にショートカットするルート(府中市大田区羽田~湾岸~船橋市印西市土浦市

3)中央道から北回りで常磐道にショートカットするルート(国立市所沢市さいたま市岩槻区~印西市

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地図に色々加えてみた結果がこちら。

関越道については、東松山から荒川沿いを目指していれば、中央環状線に接続するのが容易であったように見える。

 

(つづく)