ブルートレインにまつわる昔話のその2
家族3人で紀伊半島を一周して帰ってくる予定だった旅行の話。
当初は家族3人で行く予定で、寝台特急『紀伊』の寝台券を入手♪当時『紀伊』は人気列車でなかなか切符が手に入らないと言われていたので運がよかったのだろう。出発直前に父は仕事で旅行中止になったので結局母子旅行に。
東京駅を遅くに出発するこの列車は、『出雲3号』と名古屋まで併結。14系客車でB寝台しか連結しないシンプルな列車だ。東京駅発車後は取り立て窓の景色もおもしろみがないのですぐ寝たような気がする。この列車の素晴らしいところは、朝の紀州路を海岸線に平行して走る辺り。窓からの朝日がとてもまぶしく美しかったようだ。名古屋から非電化だったのでDD51が牽引。そのゆったりした走りも魅力的だった。
終点の紀伊勝浦で下車。結構多くの客が降りるので賑やかだった。ここからは定期観光バスに乗車。その前に駅前喫茶店で朝食を取ろうとするも、バスの発車時間で食事にありつけず退散。モーニングなのになかなか出てこなかったなあ。。。定観では、那智の滝、太地くじら館、潮岬、海中公園に行ったような記憶。串本からは特急『くろしお』で天王寺へ。381系電車は振り子式で、カーブになるとごろ~んと電車が傾いたのが面白かった。でもあれだと気持ち悪くなる人多いよなあっとも納得。
天王寺からは大阪環状線~東海道線で京都へ。京都駅で宿を探すことに。。。ここでぱせりが草津線に乗りたいと母に進言。どうやら母は切れちゃったみたい。どっかへ行ってしまいました。小学生だったのでしばらく泣いていましたが、ここで泣いていてもしょうがないと言うことで、おうちへ帰ります。
その時の切符はどうしたかわからないのだけど、鉄道家族は、限られた割引証を有効に使うために、連続乗車券という買い方をするのが一般的だったから、ぱせりようの切符を持っていたのだろう。あるいは途中下車扱いの切符を区間変更したのかも。その当時から切符の買い方のあれこれは相当熟知していたので切符は問題なかったと思う。
ということで夜の7時頃京都駅を出発、米原、大垣へ。大垣から大垣夜行で東京へ。当時から大垣夜行は青春18切符の使用時期以外はがらがら。この列車もボックスを一人で占領して帰ったようだ。
これがぱせりの長距離夜行一人旅の初めての経験だった。東京からは千葉の祖母の家に直行したような気がする。
これがぱせりの長距離夜行一人旅の初めての経験だった。東京からは千葉の祖母の家に直行したような気がする。
ところで京都で分かれた母はというと。。。。子供を置いて新幹線でおうちに帰りましたとさ。。。
普通の小学生なら交番に保護されちゃうよ。。。。