<基準日:2020/4/29><投稿日:2021/3/30>
コロナ禍で着手したけど出来ていない片付けや読書のひとつ。
交通公社の時刻表は復刻版がいくつか出されているが、コレクションを始めると莫大な資金が必要。以前の復刻版は、復刻版セットで1万円程度に価格が設定されており、そんなに簡単には手が出せないようなもの。今回の1964年10月号は、単品で発売されており、日本の鉄道において、大きなトピックスである【東海道新感線開業】の時代を気軽に感じることが出来る。時刻表収集を始める方にはとっつきやすいだろう。
ことばより、絵柄で勝負している、新幹線開業号
ぱっと見絵のようにみえるが、光の反射具合から写真だとわかる。『ひかり4時間』『こだま5時間』での開業で、最高速度210㎞/hを出せる区間はあるものの、徐行区間が多く、翌年のダイヤ改正で本来の所要時間での運転となった。この後の山陽新幹線でも開業間もなくの徐行運行というのがあって、盛土区間の多い区間は、路盤の沈下が止まるまで高速運転出来ないみたいだ。
東京周辺の索引地図
新幹線は記載されていないのが特筆されるところ。航空路線の案内図がこのころは日本地図式で航空会社を『航路区分』としてあり、会社規模毎に明確に就航できる基準があったからであろう。西日本の方が空港が整備されており路線が充実している。
東海道新幹線索引地図
停車駅のほか、主要なトンネルと鉄橋の記載がある。索引地図と言うより、特産物や海水浴場の記載もあり、観光パンフレットみたいな地図だ。表示されているのは建設キロではなく営業キロであるのは、運賃計算の教科書である時刻表ならでは。編成図も載っておりビュッフェとグリーン車(当時1等車)が2両ずつ連結されていた。
特集ページに『いよいよ世界一登場夢の超特急のすべて』がある。記事から当時の熱い思いが伝わってくる。記事中に、全線試運転が1964年7月25日、営業ダイヤでの初走破が1964年8月25日とあり、現在だったら習熟運転不足(安全確認の期間が短すぎ)で、横やりが入りそうである。やはりオリンピックに突貫工事で間に合わせた感がある。
記事中気になる記述がある。『気密装置も十分トンネルに入るときも耳に不快感はない』これは、現在開発中のリニアに通じるところがある。夢の超特急と魔法をかけると、ちょっとした違和感や不快感は未来感へ変わるらしい。0系新幹線の時の記憶は確かに気になる『耳ツン』や『車体のきしみ』が大きかった。窓から外を眺めていて、トンネルに入ると、車体が圧縮されて縮むのを体感出来たほど。
新幹線時刻表導入部分
まずは運賃早見表から、当時はひかりが『超特急料金』、こだまが『特急料金』で、ひかりの東京新大阪が2480円、こだまだと200円安く、当時の200円差は大きく、料金の差でこだまを選ぶ乗客も多かったらしい。
当時の運賃制度は現在と異なり、運賃が1等2等が別、料金も1等2等が別で、1等には通行税と言う税金が課せられており、後年は、特別席としてのグリーン車やA寝台料金部分に課税と改訂されたが、1等車がいかに当時贅沢品であったかがわかる。(営業案内のページに1等運賃は2等の1.8326倍とあり、東京新大阪のひかり1等運賃が5030円)
東海道新幹線時刻表本文
ひかり、こだまとも1時間に1本と案内されているが、2時間空く時間帯もある。九州方面への連絡時刻表になっていた。座席表案内も掲示。
新幹線の営業案内には、『電報の書き方』が案内されていて時代を感じる。
<東海道本線>
昼間の東海道本線の特急は無くなったが、急行、準急はまだ健在。夜行は20系ブルートレインのほか、急行や準急もある。長距離鈍行は、東京姫路、東京大阪
新大阪で新幹線に接続するようになったが、まだ大阪発着も多い。交直流電車の用意が間に合わず、『つばめ』『はと』が新大阪博多での運転となるが、下関から先、機関車牽引と電源車連結の151系電車が約1年運転された。
長距離鈍行は、京都鳥栖、大阪八代、大阪門司、岡山門司(上り熊本)。