<日付:2024/1/3記事作成:20240103>
前の記事の土砂災害現場より少し広域に航空写真を見てみる
青丸黄丸は、それぞれの航空写真位置に合うポイント
(S22)1947年に区画の概略が解る朱線を記入
(S50)1975/10/27の国土地理院航空写真
上部に刑務所敷地が目立つ、旧集落をかすめるように区画整理されていることがわかる
(S22)1947/11/13の国土地理院航空写真
区画整理地の中央付近が谷津地形であった。金沢市の災害関係資料を見ると、開発前の水の流れを元にハザードマップを作成していることがわかる
現在のヤフーマップの航空写真
ネットの書き込みで、この土砂災害について『盛土は危ない』との見識が多いが、
私の憶測だが、単純な盛土では無く、山を大雑把に平地に修正(切土)してから、取付道路に合わせて土地を盛ったのではないか?(図面見ていないから想像)