うたちゃん日記

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養父脳梗塞で緊急入院。(養父への思い、学生時代編)

養父が、脳梗塞のため、言語障害になりました。養父との関係を淡々と綴ます。

 

生まれる2年前頃から、生まれるまで。

 

養祖母にそそのかされて、子供が出来ないなら、親戚からもらって来いと言うことになる。
生みの両親に『せっせと頭を下げて、次の子供をうちに養子にやって欲しい』と、しつこく訪問されたと言っていた。(後日談:物じゃなくて人間なんだから、もらったら返すとか、また欲しいとか、あんたの養父母は、ずいぶん調子良いと、生みの母親に言われた。)

 

昭和44年10月15日、熊谷市で出生。同日養子縁組。
生みの母親は、養父の妹。つまり親戚で、実の兄弟がいとこになる。兄弟は、兄、姉、兄、弟がいる。

 

0才のできごと

 

出生後、熊谷市の実家で過ごす。その後、小田原市国府津国鉄官舎へ。
移動手段は、記録写真によるとなぜか自動車が多いです。みーちゃんに言わせると、高速道路もなかった時代にこんな長距離移動に自動車なんて考えられないそうです。
記録写真によると、千葉の養母の実家にいる時間が多いようです。完全粉ミルクで育った私は、千葉の養母の実家に預けられていたことが多いようです。今、子育てをしての実感ですが、乳児をそのまま、長期間実家に預ける感覚が腑に落ちません。ちなみに養母も養女なのですが、小学校時代に養女になったらしく、養祖父母に乳児を育てた経験は私が初めてです。

 

1才から幼稚園入園まで

 

覚えていること
・小田原での生活、城址公園、保育園、小田原駅前の守谷のパン、バス移動、夜中の自動車移動
・小田原から電車で熊谷、千葉を往復。養母が電車内で忘れたと思っていたカバンを私が持っていて、えらい子だとずっと言ってました。
・事故は、養母が田んぼ道の交差点で一時停止せず、他の自転車と衝突。養母は痛がっていましたが、飛び降り方の上手かった私は無傷。養父が国府津駅売店にタバコを買いに自転車で行って、私を自転車に乗せたままスタンドで立てましたが、道路の端っこが傾斜になっていて私を乗せたまま転倒、私は怪我をしたようです。線路の水平確認を仕事でやってる割には感覚おかしいなと思ってました。パチンコ店にて、養父の隣にいた私に、ゲームに夢中になっていた養父のタバコが私を直撃、やけどしました。
・何かと鉄道に関係ある遊び。絵本は電車の絵本、おもちゃはプラレール、読書は時刻表、新幹線のページを覚えています。時刻表は、現場で余った物を養父がよく持ってかえってきました。
・乗っていた車、カローラハッチバック
・記憶のある電車、153系、165系、73系、101系
・官舎は、大正時代に建てられた平屋建て長屋。
・後述する加曽利の家の建前を見ている。親戚のおじさんによく車に乗せてもらったが、前席左養母の膝の上ドアに手をかけている瞬間に養母がドアを閉めてしまい、手がなくなっちゃう感覚がするほど痛かった。(なんで前席左で膝の上?)
・しょっちゅう、千葉の養母の実家に預けられていたらしいです。

 

幼稚園時代

 

千葉市立桜木小学校入学に備え?加曽利幼稚園に単身赴任?

 

幼稚園入園前に、かねてから購入していた千葉市若葉区加曽利の土地に三世代住宅の家を建て、先立って養祖父母が先に入居。幼稚園入園と同時に私も養父母の元を離れ入居。完全に育児放棄です。

 

加曽利の家は、国道126号東金街道と、国道51号佐倉街道の真ん中のちょうどいちばんバス停から遠い場所にあり、うちのお墓のある桜木霊園も徒歩圏、お墓参りに便利で、網戸を閉め忘れると昆虫が家に入ってきてしまうのどかな場所です。

 

・養父は、国府津、鴨宮、小田原、熱海、来宮あたりを転勤してました。新幹線建設、東海道貨物別線、来宮改良東海道伊東線分離工事が自慢の仕事と家では話してました。幼稚園児に自慢する養父も変ですけど。他に話す人いなかったのかな?
・養祖父母が推奨する『寒風摩擦』で、アトピー性皮膚炎と言う、一生苦労する病気持ちになりました。
・親から離れて生活していたので、いわゆるママ友経由の友達は全くいません。
・幼稚園の運動会の思い出は、親子競争で、一等を必ず取ると豪語した父に『引きずりまわされた』こと。引きずられ靴が脱げ、観客席の他の親御さんから『かわいそう』と言われたこと。結果ビリ。
・養父が自慢のカローラで来なくなった。本人は、免許の書き換え忘れていたので免許がなくなったと言っているが、私が免許を取る年齢になり、ちょっとの期間忘れていても面倒な手続きで免許は復活するから、重い違反をおかして、免停になったと想像される。ちなみに家は車庫付き。

 

小学校時代(加曽利・1年生前半)

 

・養父母が加曽利に引っ越ししてきた。
・桜木小学校に入学した。
・転居して、すぐに、家が寒いとか、設計上の不備をぐちり始める。注文住宅です。
・養父母と同居し、親の部屋で寝るようになると、『ぜんそく』が顕著になった。部屋のアレルギー物質が原因。部屋の寒暖差による結露によるカビ、ダニ、ホコリ、たばこの煙が良くないらしく、部屋でのタバコを養父が我慢できなかったらしく、養祖父母の部屋で寝ることに。
・養父母は、加曽利に引っ越しまもなく、東京方面に家探しを始めた。養父は通勤に新橋まで片道2時間、養母は通勤に小田原まで片道3時間半。西船周辺のオンボロ古民家とかを見に行った記憶がある。国府津の官舎より手入れされていない住宅で、よっぽど切羽詰まった家探しだなと子供心に思った。後述する、葛西の小さな売れ残ったようなマンションになる。駅徒歩5分。
・ほどなく『アレルギー性小児ぜんそく』が、悪化し入院治療することになり、桜木小学校には、ほとんど通っていない。ぜんそく治療は、小学6年生まで続き、千葉大学病院退院後、高頻度で通院治療、注射のみ近所の病院と言うことになった。

 

小学校時代(葛西1年生後半~4年生)

 

葛西駅徒歩5分に所在する、2DKの分譲の家族向けマンションとしてはミニマムな家に引っ越し。10月と言う中途半端な時期です。無抽選で買えたみたいですけど、資金的には、加曽利の家が売れないとか、祖父母の戻る実家の古民家を賃貸から戻したりと、綱渡り状態だったようです。行き当たりばったり。

 

・私は小児ぜんそくの治療のため、千葉通いと言うから皮肉。学校は休み。
・週末の楽しみは、土曜日の午後のデパート。養母は、デパート友の会に狂っており、名義をいくつも作って偽名で加入する。粗品引換券の入ったご案内が目当て。これを、葛西の家と千葉の実家で行っていて、10口くらい入っていたようだ。景品引換要員として借り出されるのだ。親子で行くと引換券作業が短時間で終わり効率的だと言う。でも、2回目くらいで、こんなのやだーと私が言うので、階段の踊り場で粗品を持ってずっと待っているのだ。嫌がると、養母は遠慮なく怒り散らすので困ってしまう。養母の買物中の待ち時間は、おもちゃ売り場。買ってくれないおもちゃでえいえんと遊ぶ。この頃は、デパートは日曜定休日と言うのんきな時代だった。
・他の行楽は、交通博物館通い。国鉄家族票を見せると無料で入れるのだった。本当は、中にある弘済会の施設に入るために無料なんだけど、弘済会にちょっと顔を出して、後は遊んで来いと言うのだ。ケチ。
・旅行も、基本国鉄職員家族向けの無料パスの発行期間を利用する。神戸有馬温泉に行った時も、交通科学館に行って、国鉄家族丸出し。広島に行った時も、行きはあさかぜ、宿泊施設は利用せず、その日の新幹線で帰ると言う、無料パスを利用するための旅行と言っても過言でない。原爆資料館と宮島は行ったけど。旅行に対するケチぶりは、犯罪行為に近いことまでやらせられる。親が本屋でガイドブックを買って来て、宿泊先や観光地をメモに取り、子供である私に返品に行かせる。子供心にこんなことまでやらせるのか?と痛く傷ついた。あるいは図書館と言うものを知らないのか?
・小学校3年生で、親があまりに横暴な口ぶりなので、『本当の親じゃないから、そんなふうなんじゃないの』と問い詰めたら、あっさり白状した。本当の親じゃないと。
・小学校でいじめにあい、おでこを数針縫う大怪我をした。養父はケンカは負けたら家に入れないとか、わけわからんことを言っている。ぜんそくで体が弱いのに、やけに抵抗してくるからいじめる方も面白いに違いない。でも、こっちは家に入れてくれないから必死なのに。。。。
・級友との話題は、勉強以外なし。普通の親が、子供にやっていたことを全然してないから。テレビは基本禁止、親のいないあいだにこっそり見るもの。ドラえもん禁止。流行っていた、スーパーカー消しゴム禁止、メンコ買ってくれない、なぜか鉄道シールだけ少し買ってくれる。勉強はゴールデンウイーク頃には1年分教科書読み終わっていたので、できた方だと思います。でも、教えられないからと親への質問禁止。養母は元小学校の代用教員ですけど。スーパーカー消しゴムは、売れ残りを親戚の文具店のおばさんが大量にくれました。(ブーム後)
・養父いわく、俺はガキ大将だったと。同じように生きろと言われても、体が弱いので無理です。生家の兄弟が、アトピーぜんそくもないその違いは、育った環境だと今でも思ってます。
・校外学習や給食休みの時の弁当は、父親でも母親でも、米飯に海苔とかつお節のしょうゆ漬けの『のり弁』おかずなし。あえて言うと、これなら自分でも作れる。家庭科で習った料理を養母に教えたら喜んでいた。よっぽど料理できないんだなと内心思った。夕飯は、デパ地下ばかりだったので。
・楽器とくにうちにあるオルガンを習いたい、将来は音楽関係の仕事やりたいと言ったら思い切り無視された。ちびっこのど自慢で2位取った時は吉祥寺東急百貨店まで連れて行ってくれたが、課題曲津軽海峡冬景色に対応する練習音源がまったくなくテレビの耳コピ。レコードとかカセットとかは、はるかな夢。カラオケなんてありません。
・土日の行楽は、ギャンブル、中央競馬では、中央部分に子供の遊ぶスペースがあり放し飼い。そこでその日限りの似た境遇のお友達と良く遊んだ。だいたい東京への引っ越し理由は通勤対策だが、ギャンブルに近いと言うのもメリットがあったようだ。中山、府中、大井、船橋、銀座の場外は競馬、小田原、千葉は競輪、オートとか競艇にも行った。級友の中でこんなに連れまわされている者はいない。銀座の場外近くの有線放送する喫茶店で、頭に異常なたんこぶが見つかり痛みを感じたので、銀座の病院で血を抜いてもらった。注射器2本分くらい。どっかでぶつけたか問われたが、殴られる蹴られるが当たり前の荒れた小学校生活だから、いつのことか思い出せない。窮状を訴えても、ケンカ勝って来いだから話にならない。ある時は、御岳渓谷に連れて行ってくれると言うからどこかと思ったら府中競馬場だった。真っ暗な御岳駅で、予約なしで、宿を見つける神経がわからない。翌朝吊り橋を渡ったのが観光だったらしい。
・夏休みは、小学校のプール教室が終わると、熊谷の実家に長期滞在。これも今思うと子育て放棄のような気がする。親は、子のいない生活を楽しんでいたようだからだ。
・よく、千葉の祖母の家に行った。土日一人で行くことが多かった。家出同然で、深夜に行くことも多く、この頃から養父母とうまくいかないことが多かった。

 

小学4年生のプチ部活
・鉄道部があったので入部、4年生は上級生より活動時間内容が限定されていた。時刻表の索引ページの路線図の書き写し。大きな紙に全駅は書けないので、起点終点分岐点を書いて壁に貼ったような気がする。