<執筆者の思い>
復旧日本~重すぎるインフラに沈む国~
日本は日本であり続けられるのか?
経済の沈没は過剰インフラ問題から
①不適切公共投資~ハコモノより国土保全を、森が無ければ魚は食えぬ
②整備不良新幹線~もはやカーブが緩いだけ、地図に残る仕事と急勾配
③リニアの大横穴~トンネル以外自治体用意、これでも民間事業なのか
④鉄道不適切運用~カネ出す都市の通勤地獄、空気輸送は省エネなのか
⑤修理不能高速道~補修出来ないアクア本四、安すぎる盛土高速道補修
⑥角栄政治の終焉~夢の終わり無き整備計画、誰の幸福のための計画か
政治には右派左派があり、伝統的価値観や伝統的精神をどう扱うかで、さもや『愛国心』の加減が違ってしまうかのような論調がある。
日本の歴史は、土地の発生(日本列島の登場)から始まり、縄文弥生神話時代を経て、一体的国家論として神話時代から始まる天皇制が基本となっている事は、日本史を学習すれば間違いことである。
日本国憲法によれば、天皇は『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』とあり、この条文は、日本国民の永続的発展のためにも必要なことである。
明治維新より第二次世界大戦敗戦までは、天皇陛下が絶対的権力者と、大日本帝国憲法に明記されていたとしても、日本国統治の実態として、武家社会から続く『武士から軍人』(武士軍人を動かす政商)の支配下であったことには変わりないだろう。
1945年8月15日第二次世界大戦終戦の日をもって日本は敗戦した。戦勝国による日本統治の考え方で『現憲法が制定され統治機構、民主化方法、経済的自由』が段階的に日本にもたらされた。1952年4月28日GHQ占領終了を持って独立国となったが、西側諸国の経済安全保障システムに組み込まれ、経済や平和体制も決して自由奔放に振る舞える独立国では無い。北方領土やいくつかの島以外は『日本列島は日本人のもの』(小笠原や沖縄県は遅れて日本に戻った)であったこと、『日本語文化圏』が維持されたこと、『象徴天皇制』になってから歴代天皇家が、努めて様々な議論のあるなか(元首と言ってしまうかすら様々な議論があるが)『慎重なお言葉と行動で象徴』の立場を貫かれたことは、日本国民に幸福であった。
西側諸国に組み込まれたことで、戦後の東西冷戦は、むしろ日本の経済成長の元となったし、戦災から免れた多くの戦前戦中の過剰なアジア占領地域を支える工業生産設備ストック、作りかけのインフラが放置されていたり、戦後の考え方のまっさらな状態からのスタートで、しがらみ無く成長分野に投資を傾斜配分させることが出来たりした。
戦後日本はゼロからスタートしたと語られるが、全てが焦土になった訳では無く、使えるモノは使い、修理出来るモノは修理して使ったし、住んでいるのも日本人だから、ゼロからというのはチト意識過剰な考え方かもしれない。
(日本が戦時中に物資不足で苦労したのは、アジアの日本支配域での現地産業が未熟すぎ、名目上は資源確保による侵略とされているが、実体的には日本本土から資材を送り込みインフラ整備に徒労浪費しただけであったようだ。当時の物資移動状況の資料を見れば実態がわかるとのこと。)
ところが、急激な経済成長によって、社会インフラの不足が『先進国として恥ずかしい』との意識が強くなり、目に見えるインフラ整備、特に交通分野の都市間輸送では背伸びをした投資計画がある。経済成長に合わせ整備すれば事足りるインフラさえ、計画が無ければ殺人ラッシュは放置され、計画があれば需要予測に関係無く建設される循環が出来てしまった。需要の少ないエリアは、成長は後から着いてくる的な『政治的格言』が重宝された。
『失敗開発エリア』へ至る、交通インフラは依然として『成長のために必要』とされ続け、開発事業本体の失敗から関連事業の失敗へドミノ式に連鎖していく状況が、今まさに起きている日本での実態だ。
本ブログでは、シリーズとしてこれらの情報を収集し考え方の資料として提供していきたい。右派左派問題やイデオロギーとしての憲法問題等は出来るだけ差し控え『日本の負の連鎖』をいかに断ち切るかの資料収集を試みたいと思っている。