うたちゃん日記

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1.高校卒業


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 高校は、自ら望んで理系志望の難関私学校を志願した。一応、千葉県内私学では最高峰である。都立校なら、すぐ近くの高校に行けたが、あえて電車通学で、都内亀戸から千葉習志野まで3年間通った。ところが入学まで順調だった学業成績も、授業に次第について行けなくなった。在学中は、父親から、都立の方が学費も安いし近いからから良かったとさんざん言われ続けた。しまいには、学費が勿体ないから、退学しろとまで父親に言われた。そもそも中学時代の成績がトップクラスでも、同じような成績の集団の高校だから、学内成績上位を確保するのは至難の業なのだ。私学に行ったら予備校は行かないと約束の通り、現役中の予備校は行かなかった。千葉のおばあちゃんの知り合いの英語塾で補習を受けることはあったのだが、受験に役に立つレベルではなかった。高校3年生の時には、成績が落ちていくと同時に、家庭内でも両親の不和やいつもの父親の𠮟咤もあって、ストレス性の胃潰瘍になって入院してしまった。これで成績の挽回は決定的に不可能になってしまった。それでも病院から通学し、やっとのことで卒業はできたのだ。この年、受験料が無駄なので大学受験はしなかった。

 

 18歳の春、あきらは高校を卒業した。しかし、進学率100%の高校であるから、浪人することは必然であった。親との約束で予備校は行かないと決めていたので、アルバイトをしながら宅浪することにした。教材は進研ゼミを使うことにした。進研ゼミの教材では難関大受験を目指しているので、かなり難しいものだ。教材をこなすのに精一杯だった。

 

 アルバイトは、東京駅前の丸ビル(古い建物)のニュートーキョーの経営する和食店で皿洗いをした。理由は食費を浮かせるためだ。朝10時に出勤し、まずは玉子割、米研ぎ、配膳の手伝い。12時を過ぎると皿洗い本番、何しろランチタイムに3回転も4回転もするような店だったので、洗い場は戦場だった。洗い場に向けて皿が飛んで来るほど。あきらのほか、おばちゃん2人と常にフル回転。洗わないと次の飯がよそれない、次の配膳が出来ないと言う状況。時給は850円だったがとても割に合うとは思えなかった。14時からおばちゃんたちと食べるまかないだけが楽しみだった。ニュートーキョーでは、社員、準社員、アルバイトがいて、ホールの準社員は2部の大学生が多かった。寮住み込みで大学に通うのだ。こうやって働きながら大学に行く手段もあるんだと知った。結局、仕事がきつすぎて、勉強がはかどらず、3ヶ月で辞めた。それからひたすら家で勉強の日々が続いた。時々散歩もするが、亀戸や錦糸町から出る都営バスに乗って都内を周遊してくるのがもっぱらだった。