うたちゃん日記

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養父脳梗塞で、緊急入院。(養父への思い、学生時代編続き)

前編からの続き。

 

小学校時代(亀戸時代、5~6年生)

 

たまたま、マンション大人気時代に、高倍率物件で抽選に当たって入居。駅徒歩5分、割と都心物件。
・葛西のマンションは、ろくに物件探しをせず、2DK。亀戸は、ずっとマンション探しをして、やっと当たった3LDK。
・そのくせ、引っ越した理由を、私の『いじめられっ子』のせいにした。
・葛西にいても、急激なマンション開発地域で、分校で転校だったのでたいして変わらない。
ぜんそくの治療により、体力が平均より良くなる。とくに逃げ足は、いじめられっ子で鍛えられたので、早い。運動会でだいたい1位になるくらい。元々、生まれた時は、兄弟の中で一番でかかったので、本来の体力に戻ったのだろう。ケンカも負けないようになって、手加減しなかったら素手で相手を怪我させた程。
・養父によると、職場に通いやすい、錦糸町場外馬券売場に近いと言っていた。なので、子供を競馬場に連れ回すことはなくなった。

 

小学校生活
・PTA活動をまったくしない親だったので、小林先生にひいきされない対象になった。クラス内で差別的扱いを受けていたと、ずっと思っている。ひいきされないとは、優遇されないともいう。
・養母が神奈川県逗子市の歯医者に通う変わり者だったので、つき合わされた。はみがきの習慣が身についていないので虫歯だらけ。逗子に行く時は、学校休み、歯医者で普通学校休まないだろう。

 

進学活動
・『いじめられっ子』だと決めつけられ、中学はいじめのない大学付属の私学に通うようにと養父が言い出す。この時代、いじめはありませんでした。
・目標とされた付属中学は、だいたい学業で有名な学校じゃなくて、スポーツで有名な学校ばかりでした。
・100点取ってなくて、だいたい80点以上のテストの成績だったが、100点取れない子は、補習塾だと、養母は思ったらしく、補習塾を探して来た。塾の名前を聞いて、この塾は、頭の悪い子が行く塾だから、中学受験するなら、進学塾じゃないとダメだと親に進言したら、場外馬券売場の近くの『東京進学教室』という塾を探して来た。入塾テストで、補習コースと進学コースがあり、なんなく進学コースへ。
・塾では、お菓子、アイスクリームや遊具を販売しており、休み時間、路上でキャッチボールをしたり、買い食い(塾の事務のお姉さんから買う)をしたりして楽しんでいた。運動会もあった。
・3ヶ月くらい通って、塾長先生から、えらくほめられたりした。それは、塾内成績が1番になったからである。100点取れて簡単に塾内成績が1番になるのは、塾のレベルが低いからと、親に進言し、新聞折込チラシで、新規開講した『栄光ゼミナール』に、行くことに。
・小学校であんまり良い思いをしていなく、塾ではかわいがられていたが、冷静に判断した。小学5年生で、このような判断はなかなかできないだろう。
・栄光ゼミナールでの入塾テストでは、普通クラスと特別クラスがあり、ほどなく特別クラスに。特別クラスでは、サービス残業ならぬ、サービス授業があり、普通クラスと同じ学費で、たくさん勉強できた。
・特別クラスでは、四谷大塚準拠テキストなるものを使用。なかなか手ごたえがあった。塾から四谷大塚に入塾するための試験を受けろと言われ1回だけ受けて落ちた。中学受験の頂上クラスの戦いをするためには、小学4年生頃から四谷大塚に入る勉強をしていなければならないことを知り、親のリサーチ能力は、まったくなかったことが証明された。受験代がもったいなかったのか2回目の受験はしなかった。
・その頃の生活は、小学校から帰ると、小学校の宿題はとっとと終わらせ、塾の予習。学習範囲全問回答、質問事項をあらかじめ整理しておく。5時ごろは都営バスで塾へ。ごのはしのいせやで夜食を買って行きます。夜は終バスに合わせて、午後10時ころ授業終了。これを平日毎日、土曜は早めに、日曜は模試。
・ところがそもそもの発端、『いじめ』が、学区内の中学校で無いと親が知ると、中学受験は中止に。でも学力は、これ以上上が無いくらいまで上がりましたよ。これが小学6年生の夏ころです。結局のところ、思った以上に塾代、中学校授業料、高校大学と私学にやらせるのが大変というのが、塾の先生から伝わり、『金を出したくない』養父の方針になったようです。
・なにしろ、3回目の住宅ローンで、家計は私のお年玉を借用するほどだったので、厳しさが伝わりますが、養父のギャンブルタバコサケを節約したり、飲み屋に借金することを辞めること、デパ地下夕食やめて、自炊することは出来なかったみたいです。

 

小学6年生後半で担任の小林先生の態度変わる。
・IQ試験の成績が絶対的に良く、無視できない存在になってしまったらしい。
三者面談で、この子は頭が親御さんの考えている以上に良いから、ちゃんと勉強させるようにと、母親は言われたようです。IQ試験の成績は教えられないとのこと。
・その母親は、担任の小林先生に、新聞のスクラップの課題は、子供の負担が多く、勉強しなくなるから強制しないようにと強く言ったそうです。
・それでも、走り幅跳びクラスや学年1番になったにもかかわらず、大会には出してもらえませんでした。近藤が1番飛んでるのに、なんで出さないだろうと良く話題になりました。

 

この時代の旅行の特記事項
国鉄チャレンジ2万キロキャンペーンに参加を始めました。なんで国鉄家族関係者が対象外にならなかったか疑問を感じます。無料パスとか職員家族割引証を使っていたので。
・それで、家族旅行は、紀伊半島紀勢本線乗りつぶしになりました。寝台特急紀伊』で、紀伊勝浦駅に行く直前になって、養父は仕事が入りキャンセルです。よって母子旅行になりました。紀伊勝浦~串本まで観光バスで移動しているので、完乗していないはずです。京都に宿泊予定でしたが、ホテルは例によって予約していないので、案内所などに問い合わせても満室。ビジネスに泊まるなら草津線に乗りたいと言ったことに腹を立てた、養母は私を置いて、どっかに消えました。京都駅で。携帯もない時代ですから、1人小学5年生の男の子は、泣きべそです。ところが、私の手元にこどもの普通乗車券があるじゃ~ないですか!なんと、京都駅から大垣駅まで移動し、大垣夜行で帰って、千葉の祖母宅に行ってしまいました。私を置いて、養母ははとっとと新幹線で帰ったようです。養母は祖母からかなり怒られたようです。

 

この頃の校外学習、給食休み時のお弁当
・のり弁から、『ごのはしのいせやのおにぎり』『吉野家の牛丼』にバージョンアップしました!手作りじゃないから、さらに手抜きです。もはや戦後では無い!

 

卒業記念旅行は、野田市清水公園です。
・アスレチックコースの池飛び越えコース楽勝で渡りました。体力に自信のない子はみんな迂回コース。親小林先生グループのお子さん方が、ほぼ全滅で池にドボンです。着地と体の動きのバランスを頭で理解すること、それを実行すること、両方出来ないと渡れません。近藤が出来るなら俺だって私だって見たいな子がドボンです。親小林先生グループは、PTA参加に親御さんが熱心で、この日も引率の父兄団に入ってましたから、あの子(私)が、あんなことしたからうちの子も真似してずぶ濡れだわ、みたいに言われたようです。自己責任だと思うけど。

 

この頃の宅内の様子
・3LDKと書いたが、実質2LDKの仕切りをいじった3LDK。それでも人気物件だったんです。
・部屋は、1部屋物置部屋。養父は、それでも家が広くなり、場外馬券売場が近くなったので、ギャンブルにさらにハマった。競馬新聞の山がひどかった。
・応接セットの寸法が、ギリギリで、家の中の通行が不便だった。その狭いところに、温度計が壁にかけてあり、よく体がぶつかった。物理上、体を傾けなければ通れないのだが、なんでわざわざぶつかるんだと養父にしょっちゅうインネンをつけらられたことを覚えている。この人は、本当に国鉄で、線路の点検できているんだろうか?と思ったものだ。養母に線路の修理は出来ても家の修理は出来ないと言われていた。

 

音楽の授業が嫌いになった
・最初のうちは、普通に音楽の授業を受けていたが、成績5段階で2をつけられ、やる気なくす。だいたいちょっと音符が読めるくらい、音楽教室に行っている子や楽器を積極的というか、強引に目立つ楽器やる子が成績良いみたい。
・歌うとコブシがまわりすぎて周りの子と合わない、目立ち過ぎるので、小声で歌ってました。
・同級生には、歌えない子と言う印象が強かったらしく、同窓会で津軽海峡冬景色を歌った時に、すごく歌い込んでいる
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